錦江町歴史探訪

錦江町歴史探訪:錦江町の田代・大根占地区の史跡・名所探訪のイベントに参加し、錦江町の自然の美しさと歴史の深さを体感した。
錦江町歴史:縄文時代からの遺跡が町内で発掘されており、この頃から定住があったようである。713年には大隅国が設置され肝坏郡(きもつきぐん)に属したのち大隅郡(1887年に南大隅郡とされる)に属す。平安中期には禰寝院として荘園支配がなされるようになる。江戸時代には外城制(後に郷と称す)が敷かれ、大根占と田代の2郷が置かれた。2005年3月22日、大根占町田代町が合併して発足した。<ウィキ>

↑天神下の傘塔婆<傘塔婆は当初追善供養や逆修供養を目的として造られ、この後登場する板碑や現在用いられている角柱墓、大名墓などの原型でもある。

↑国見城跡<祢寝氏の出城で島津義久が根占巡視の時、国見城に登り感嘆して「天下の名城」であるといわしめるほど絶壁に囲まれた堅牢な城であった。正平7年(1352)南朝方の楡井頼仲、天正2年(1574)肝付兼亮が攻めたときもびくともしなかった。外堀跡や内堀跡も残っていた。


↑旗山神社<旧大根占町にあり、創建・由緒は不詳であるが千数百年前の建立といわれ。旗山神社の柴祭りは正月2日から4日にわたって行われ、初日の一月二日は、安水地区の立神神社をめぐって稲作と狩りにかかわる事始めの行事、二日はシシ狩り始めの行事が行われる。道路を隔てた境内には樹齢約800年以上のオオクスが、その威容を誇っている>http://www.osumi.or.jp/sakata/furusatokaze/tanbou2/sibamaturi.html#zinzya

↑半下石の田の神像<向かって右手にしゃもじ左手にすりこぎを持っている。右足はぞうり、左足は下駄を履いているめずらしい田の神像だ。

↑お茶亭跡<江戸時代、島津19代光久、24代重年、28代斉彬等が来遊した記録が残る。橋の近くに14個の釜跡が残っている。

↑扇落としの滝<花瀬バンガロー近くにある2段、3段と階段状に連続する迫力ある渓流瀑である。島津の殿様が雄大な滝の景観に驚いて手に持っている扇を落としてしまったことから「扇落としの滝」名が付けられたという。

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神川大滝→http://www.osumi.or.jp/sakata/furusatokaze/furusatokaze2/hasi/subkamikawa.html
花瀬自然公園→http://www.osumi.or.jp/sakata/furusatokaze/furusatokaze2/hasi/hanase.html